珈琲サイフォンこと河野さん
場所は、東京 巣鴨駅傍、山手線沿い。
住宅地の一角に珈琲サイフォン株式会社があります。
朝お邪魔しましたが、もうすでに焙煎の煙で珈琲の香りがしました。
焙煎工場、事務所など一体となり、売り場も一緒になっていました。売り場にはずらりと焙煎豆がならび、そのすぐ左手にはたくさんの焙煎機が稼働しているのがオープンになり買い物客も見えるようになっていました。お客様は、慣れた様子で珈琲豆を注文し、常連さんのお店というイメージ。


こちらの器具をご存知でしょうか?
サイフォンですね、ネルドリップ同様最近では、喫茶店でもお目にかかることがずいぶん減ってしまった器具です。写真は、年代物の珈琲サイフォン、今は流通されていないものです。
珈琲サイフォン株式会社という名の通り、初代代表の河野彬さんは、世界で初めて珈琲サイフォンを開発した方です。もともとは医学部助手をし、海外委託生として、医療品などの販売で活躍をしていましたコーヒー好きの河野さんにとって、シンガポールでの珈琲は美味しくなく…だったら自分で器具を作ろうと!おいしく珈琲を淹れる器具の開発へつながったようです。そういえば、理科の実験のような珈琲サイフォンの仕組みや器具の形から見てもなるほど!となりますね。開発は、医療品の海外輸出を手掛けるとともに、長い歳月をかけて進められました。
そして珈琲サイフォンが日本で初めて売られたのは、昭和2年日本橋のデパートで実演販売。1台1円80銭という当時では高額で販売されました。この価格の高さと当時の嗜好傾向からはたくさん売れたわけではなかったようです。昭和10年頃から海外への輸出も開始、販路も伸び始めましたが、第2次世界大戦で途絶えることに。ですが、贅沢品と言われながらも政策、再開、改良に改良を重ねて今があるようです。
珈琲サイフォンの歴史、とても面白いですね。
焙煎していただいた珈琲豆用袋には昭和3年、河野家で行われたコーヒーパーティの様子の写真が印刷され、裏には歴史ある河野家のストーリーが書かれています。


袋を手に取った方に伝わりますね。
初代社長のコーヒー好きが転じて美味しい珈琲器具の開発サイフォンが生まれました。
当たり前に見ていたサイフォンですが、とても奥が深いですね♪
住宅地の一角に珈琲サイフォン株式会社があります。
朝お邪魔しましたが、もうすでに焙煎の煙で珈琲の香りがしました。
焙煎工場、事務所など一体となり、売り場も一緒になっていました。売り場にはずらりと焙煎豆がならび、そのすぐ左手にはたくさんの焙煎機が稼働しているのがオープンになり買い物客も見えるようになっていました。お客様は、慣れた様子で珈琲豆を注文し、常連さんのお店というイメージ。


こちらの器具をご存知でしょうか?
サイフォンですね、ネルドリップ同様最近では、喫茶店でもお目にかかることがずいぶん減ってしまった器具です。写真は、年代物の珈琲サイフォン、今は流通されていないものです。
珈琲サイフォン株式会社という名の通り、初代代表の河野彬さんは、世界で初めて珈琲サイフォンを開発した方です。もともとは医学部助手をし、海外委託生として、医療品などの販売で活躍をしていましたコーヒー好きの河野さんにとって、シンガポールでの珈琲は美味しくなく…だったら自分で器具を作ろうと!おいしく珈琲を淹れる器具の開発へつながったようです。そういえば、理科の実験のような珈琲サイフォンの仕組みや器具の形から見てもなるほど!となりますね。開発は、医療品の海外輸出を手掛けるとともに、長い歳月をかけて進められました。
そして珈琲サイフォンが日本で初めて売られたのは、昭和2年日本橋のデパートで実演販売。1台1円80銭という当時では高額で販売されました。この価格の高さと当時の嗜好傾向からはたくさん売れたわけではなかったようです。昭和10年頃から海外への輸出も開始、販路も伸び始めましたが、第2次世界大戦で途絶えることに。ですが、贅沢品と言われながらも政策、再開、改良に改良を重ねて今があるようです。
珈琲サイフォンの歴史、とても面白いですね。
焙煎していただいた珈琲豆用袋には昭和3年、河野家で行われたコーヒーパーティの様子の写真が印刷され、裏には歴史ある河野家のストーリーが書かれています。


袋を手に取った方に伝わりますね。
初代社長のコーヒー好きが転じて美味しい珈琲器具の開発サイフォンが生まれました。
当たり前に見ていたサイフォンですが、とても奥が深いですね♪
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