金沢城金谷出丸跡ー現尾山神社
金沢城のかつて存在したとされる
鼠多門に鼠多橋です。
江戸初期の頃に建てられ、明治17年の焼失まで存在したと言われています。
金沢城公園の玉泉院丸庭園から見ています。
玉泉院丸庭園は、北陸新幹線開業に合わせて作られた
当時の藩主の内庭でした。
派手な装飾は、ありませんが高低差があり
巨大な石垣をバックにした内庭。
歩いて回るも良しですが
お庭は、コンパクトに見せ場がいくつもあり
眺めながら楽しむというのがこちらのお庭の特徴です。
玉泉庵という茶室や休憩所がありそこからの眺めは、
隠れ家のように楽しめる特別なひとときです。
こちらの庭園と尾山神社をつなぐにはかなり高低差がありますので
その辺りも、どんな風に作るのだろう?と。
石垣の上に1階、2階と建てられた鼠多門。
その名の通り鼠色。
黒漆喰の海鼠壁という日本でも例のない造り。
江戸初期の建物を再現したもの。
さほど大きな門では、ないのですが
こちらの架け橋の下は、かつてお堀でしたが
現在は、街中の主要道路。
街ゆく人が上を眺めながめながら
渡ってみたい! と
思っている事は、間違いないと思います。
当時は、木橋だったようですが、耐震性を高めるために木と銅材を使っています。
江戸時代の頃よりも4,7メートル高く
9メートル長い橋となっています。
この下を道路があるからですね。
金沢城玉泉院丸庭園と尾山神社を繋ぐ架け橋。
その当時、一般庶民が通る橋ではなかったようです。
その当時、現在の尾山神社は、金谷出丸と呼ばれる場所でした。
尾山神社の境内にて。
金沢城 金谷出丸。
出丸というのは、本丸、二の丸、三の丸などよく聞くお城用語の一つです。
お城から出たところに作られる曲輪(くるわ)
曲輪というのは、同じ読みで、郭、廓とも言われ同じ意味をなす言葉。
曲輪は、堀やISIGAKIなどで区切られた区画のことです。
その当時、出丸には
敵の攻撃を防ぎ、お城の見張り場所としての機能の他、
敵を攻撃するための場であり、
金谷出丸もその意味をなした場所でした。
(尾山神社に残る石垣)
金谷御殿があり、隠居した藩主や側室、その子供たち家族が住んでいた場所でした。
この辺りは、金屋町と呼ばれていました。
金谷出丸。
境内には、お庭があり
歩いて見ると意味のありそうな古いものが多いですね。
鼠多橋を渡った尾山神社(金谷出丸)方面に
金ぴかりんの建物が建てられています。
なんでしょう❣️?
早く渡りたいですね!
(*´ω`)┛
尾山神社側から金沢城の眺め森の中からひっそりとした雰囲気もまたいいですね。
まさに出丸の跡。
鼠多門、鼠多橋の完成に合わせて
尾山神社もまた園内をお掃除
お庭の整備が。
尾山神社が出丸であったのは、知らなかったです。
歴史を知ると楽しいですね。